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2005年稲作を終えて


 
初めての稲作

 正月初めに父親が死んだ。
 稲作はこれまで、父親がしていた。父親も年々歳をとり、稲作もきつくなってきたのだろう。何かといえば手伝いに来てくれと、応援を求めて来るようになった。
 田植えと稲刈りはずっと以前から手伝っていたが、特に晩年は田の畦塗り、消毒、土手の草きりと頻繁に声がかかるようになった。
 しかし、基本的には父親がひとりでしていた。

 したがって、全部一人でするとなると、知らないこと、初めてのことで戸惑うことがいっぱいあった。
 苗はどうする。注文、購入の方法。田植えの準備。消毒。水のあて具合。などなど疑問点がいっぱいあった。

 
稲つくりをなぜしたか

 会社から生活に困らない給料をもらっているので、別に稲を作らなくてもよかったが、次の点から稲つくりをはじめた。
 @ 先祖代々受け継がれてきた田んぼを荒らすことは忍びない。
 A トラクターを初め農機が揃っていた。もし、トラクターがなくて耕運機だったら作らなかったかも知れない。
 B 我が家の米は飲めるきれいな水を使っているので、とてもおいしい。とても買って食べる気にならない。

 
稲つくりの基本スタンスは

 自分の性格は、どちらかというと凝り性だと思う。
 どうしたら、いい米ができるか。どうして作ったらいいか。何冊もの雑誌や書籍を読み、ネットで調べた。
 結果、疑問点は払拭できなかったが、なんとなく自分にもできるような気がしてきた。
 そこで、自分の稲作の方向性を定めた。

 @ できるだけ省エネルギーですること。
 A 無農薬栽培をする。
 B への字農法で作る。
 C 有機栽培を心がける。
 D 楽しむ。

 
苗はどうする

 当初、苗は今までどおり買う予定でいたが、義父が、普通作なら苗つくりは簡単、という話を聞き、どうせなら、苗つくりから初めてみようということにした。
 自分で作ると、種まきの量や無農薬を貫ける。そして、楽しむことができる。
 
 種はもちろん自家製。
 品種はひのひかり。
 種まきは種籾選から始まる。
 種籾選には塩水を使うが、下田の外洋からきれいな海水を汲んできてそれを使った。海水だけでは足りないので、普通の塩を足すが、その塩も天然塩を使う懲りよう。
 比重は卵を浮かべて計った。比重計が手に入らないので。
 教科書に種籾選のあとには必ず消毒せよ、と書いてあるが、何とかなるだろうとしない。結果オーライであった。でも、熱湯消毒はした方がいいかもしれない。
 種籾選をしたあと、HB101の千倍液に漬け込む。
 漬け込む時間が短かったためだろうか、芽出しに時間がかかった。
 種まき用土はJAから購入。
 種まき量は、薄蒔きとし、1箱120グラム。それでもちょっと多かったような気がする。
 薄蒔きなので、苗はいい苗ができた。
 鳥が苗をつつくのには困った。
 
 
代かきの苦労
 
 サラリーマンをしていると、米つくりにかかりっきりにできない。一番困ったのは水管理だ。
 今年は特に雨が少なく、水に苦労した。
 水がなかなか田んぼに貯まらない。したがって、代かきがなかなかできなくて、3回に分けてしなれればならなかった。したがって、田植えも3日かかった。
 我が田は川から水を引くのだが、水路があちこち破けて水漏れはするし、水路に落ち葉がたまり、すぐに水が流れなくなる。
 
 代かきは簡単のようでなかなか難しい。まず、地形の問題。我が田は大きいので4アール程度と小さく、かつ変形している。さらに棚田なので、転回動作が多くなり、全体を平均にかくのがむつかしい。また、トラクターの性質として、土にでこぼこができる。平らにならすのが難しい。
 ま、それでも何とか仕上げることができた。若干むらができたが、小さいことは気にしない。

 
田植え

 去年まで、父親の主権の前に稲つくりをしていたので、田植えのやり方にも、父親の主観がはいり、父親の言うとおりにしていた。しかし、今年からは自分で好きなようにできる。
 そこで、次の点で去年までと違う方法をとった。 
 @ 植える密度。去年までは畦にびっちりくっつけて植える密植をしていたが、今年は畦からだいぶ離す。また、6条に1条抜きや2条に1条抜きにするなど、株と株の間を離す疎植をおこなった。さらに、四隅には植えない。これは、四隅は機械刈りができないため、手刈りをしなければならないためだ。
 A 一株の本数も、2本ほどにとどめた。でも、助手はどうしても本数を少なく植えると不安になるらしく、少なく植えろと指示しても、3から4本植えにしていた。
 
 私のように疎植にしている田んぼはどこにもない。きっと、他の人は、私の田んぼを見て、あきれていたのではないだろうか。皆さん、少しの隙間も作らないように密植にしていらっしゃる。少しでも多く獲ろうということだろうが、疎植こそが病気に強く、かつ実りの大きい稲ができると思う。

 
水管理

 水管理のことを水充てというが、この水管理が一番のやっかいだ。今年のように水が少なく、気温が高いと、水管理がますます重要になってくる。
 とにかく、水がないのだ。取水は小川のような河川に頼っているので、雨が降らないとあっという間に、川の水量が減少する。
 朝、よく流れていた水が、夕方にはチョロチョロになっていたことは何回もあった。そのたびに砂を除去し、つまり取水口を掘り下げて水量を確保した。
 また、水路はむきだしのため、落ち葉がたまり、流れをせきとめるので、つどつど落ち葉の除去を行わなければならない。
 次年度はビニルパイプなどで、工夫をする必要がある。

 水源はある意味で独占状態で、他人に気兼ねが要らないのは救いである。水争いが一番怖い。また、交代での水利用も大変だ。

 我が田は実家にあるが、別のところに家を作っているので、自宅から車で15分ほどかかる。
 したがって、そうたびたび水を見回ることができない。時々には朝5時ごろ起きて、田んぼを見回り、それから出勤する生活が続いた。
 週休2日制と労働時間がそう長くないので、その分は助かっている。

 
生長具合

 完全なへの字農法というわけではないが、基本的にはへの字農法を心がけた。
 への字農法とは、最初の生長をじっくりと、最大の生長を中間付近に持ってくるという栽培方法である。したがって、元肥はゼロか少なめにする。そのため、移植してからなかなか生長しない。慣行農法は元肥をたっぷりやるので、青々とどんどん生長する。
 この点も、お隣さんたちはどうなるもんかと心配してくださったのではないだろうか。

 しかし、そのうち、疎植にしているので分岐も多く、太さも大きく、がっしりとした稲になってくる。
このころになると、おーよくできていると感心してもらえるようになった。

 
無農薬に徹する

 基本スタンスとおり、無農薬に徹した。ただひとつ除草剤を除けば。本当は除草剤も使用したくなかったが、今のところ仕方ない。
 ネットで、EM活性剤の除草液を購入しつかったが、いまいち効果はなかった。

 除草剤も、少なめにしたのと、水がすくなく干上がったこともあったので、ところにより草は結構はびこってしまった。

 消毒は一切しない代わりに、ストチュウや木酢液、HB101などを数回散布した。これが効果があったかどうかわからないが、軽いイモチ程度で、特に病気らしいものにはならなかった。

 
出穂

 やがて、待望の出穂。粒もそろい、籾数も他所に比べて遜色ないか、上回る程度。このところまでは、自画自賛であった。

 
突然

 だが、稲刈りを数日に控えたある日、田んぼに行ってみると、ある一角が枯れている。こればどうしたものかと思っていると、どんどん周囲に伝播し、枯れだした。
 原因は、いろいろ調べたが分からない。
 実は穂熟しているので、早めに刈ろうというので、雨の中、妻と二人で刈った。翌日は妹も加勢したので、何とか刈り終えた。
 健全な稲が少ないような状態であった。

 枯れたのは自分のところだけかと思いきや、遅く植えた田はほとんど枯れている。
 ある人に聞くと、夏の暑さに耐えかねたのだろうという話。さもありならん。
 盛夏の日中、田んぼの水に手をつけてみると、熱いほどに温度が上がっていた。この時点で大丈夫かいなと思ったものだ。心配は当たったのだ。
 水が多ければ、どんどん掛け流して、適温で管理できたのだが、なにしろ水がなかったものでどうしようもなかった。
 本当に農作物の出来不出来は天候が左右する。

 
収穫

 収穫は反当り4.9俵と散々な結果であったが、田によっては8俵は確保し、作り方をもっと工夫すればさらに収穫が増える見込みがついた。次年度が楽しみである。
 収穫が少なかった田んぼは、水のあたりが悪かった田んぼであった。
 また、今年は追肥の時期が遅れたので、来年度は早めにしたい。また、後効きする有機をたっぷり元肥で施すと、追肥は不要かも知れない。次年度の課題だ。

 
食味

 味は天下一品。多くの人に贈答したが誰もがおいしいと褒めてくれた。