里の神々 2010/10/25up

姫石神社  上天草市姫戸町姫浦

 
 姫石神社の近くに、姫浦神社がある。こちらは大きな神社だ。
 対して、この姫石神社はこじんまりとした神社である。

 姫石神社の由来は、境内の説明板にあるが、写真では分かりにくいので、書き起こしてみた。若干誤りがあるかもしれないことをお断りしておく。

 また、「天草・霊験の神々」濱名志松著 図書刊行会 にも、姫石神社のことが載っている。こちらは、説明文とは違うので、概要を記す。

 
帝の身代わりとなった姫を祀る姫石神社

 景行天皇が九州遠征の際の伝承。
 景行天皇の船団が八代海を南下をしているときに、時化にあい天皇の御座船が転覆寸前になった。その時、同乗していた姫君が、天皇を救おうと思って、竜神に天皇の救命の祈りをささげ、波の中に身を投げた。
 すると、みるみるうちに凪となり、天皇は救われた。
 このことを知った付近の村人は、姫の亡骸が海岸に打ち寄せるのを待ったが、いつまでたっても流れつかなかった。そして、姫の代わりか、海岸にまっ白い玉のような石が流れついた。これを姫の死骸が石に姿を変えて石になったものだと思った村人は、祀って姫の霊を慰めたという。


 <説明板>

姫石神社の記

現在の姫石神社が創建されたのは門柱の刻記から安政五年九月吉日(祭日九日と想定)と思われ、時の姫浦庄屋浦本大九郎外百姓三十三名によって祀られています。百姓三十三名は本百姓のことで本来姫浦村住民全部の神として祀られたものでしょう。

祭神は女神としか記録されていないそうです。しかしその社名からして古来の伝説の姫石の神を祭ったものと考えます。

姫石というのは伝承してきた故老たちの談によれば、美しい姫が波静かな入江に宝を入れた袋を乗せた船でこられ、何十年経ったかと思われるハタヒの大樹、海に覆いかぶさる楠の巨木、樹高百条にも及ばんとする照葉樹等の杜の鼻に船を止められて、こここそ神宿る地と定住されたそうであります。この船は船石となり、袋は袋石となったそうで、二つ併せて姫石と呼ばれました。

文政年間に姫石新田ができてから、この姫石が粗末にされるようになったので、喜十という人たちによって高所に置かれるようになり、姫石神社のシンボルとなったのであります。祭りは旧暦九月九日。

平成六年三月吉日建立

 姫戸町文化財保護委員会