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本渡中央商店街大火

 1964年10月25日未明、本渡中央商店街をほとんど焼失するという大火災が発生した。
 その頃私は中学3年生、当該箇所から5キロメートルくらいのところに住んでいたが、夜空を赤々と染めるのも目撃し、これはただ事ではないぞと思ったことを覚えている。

 その頃中央バス停は現場のすぐ横にあったが、ずいぶん永く焼けた壁が残っていたことも記憶にある。
 今は勿論、火災の面影はないが、逆に商店街は郊外のテナントに客を奪われ、ひっそりと火の気がないのが気にかかる。



  
   火災復興記念碑 《碑文》

 本渡市大火の概要

  昭和39年10月25日 午前3時15分に発生した大火は、折柄北北東の風、風速10メートルの強風にあおられ、またたく間に延焼、隣接町村消防の応援もかいなく、全焼98戸、半焼5戸、被災世帯105を数える県下未曽有の大被害をもたらし、同5時30分鎮火した。
 本渡市においては、直ちに災害対策本部を設置、各機関を総動員、その万全を講じた。
 被災者においても、このような悲惨な大火が再現しないように、不燃都市建設を申し合わせ、早急なる復興を協議、土地区画整理事業によって、道路の拡幅、街路の新設等、公共施設の充実に全力を傾注し、昭和42年9月全て復興を見るに至ったことは、偏に当時の本渡市長横山寛人氏、中央土地区画整理組合長影山久遠氏、土手土地区画整理共同施工代表松下典一氏のご尽力の賜であり、よって茲にその完成を記念しこの碑を建立する。

 平成5年5月吉日建立
  本  渡  市  長   久々山義人
  本渡商工会議所会頭  平山 松若

 ※ 一部編集
   この碑は、天草市栄町 天草商工会議所にある

 
 

以下は文・写真とも「熊本県大百科事典」 熊本日日新聞社刊 より転載 数字は漢数字を算用数字に改めた

 本渡大火 ほんどたいか

 昭和39年(1964)10月25日午前3時20分ごろ、本渡市本渡町本渡の商店街から出火(出火原因不明)、折からの強風(6b以上)にあおられて火が広がった。狭い道路に木造家屋が密集し、しかも干潮時で消防水利が不足する悪条件が重なったため、町中心部の商店街を焼き尽くす大火となり、同日午前6時30分鎮火した。市消防署のポンプ車2台をはじめ、市消防団、隣接町村の消防団など総掛かりで消火作業に当たったが、被害は死者1人、負傷者20人、焼損棟数76戸、被災者364人、損害額9億5000万円余に上った。
                 《山口智章》
  
 ※ 上の復興記念碑文と数字の違いが見られる。