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天草市指定文化財

豪商(銀主) 松坂屋(石本家)屋敷・石本平兵衛
         
天草市五和町御領

唯一現存する石本家屋敷の蔵
この蔵から夥しい什器や古文書が発見されたという。
左は蔵の鬼瓦
 

(石碑説明板)


 豪商 石本平兵衛翁顕彰碑


 翁は 天明
7(1787)御領村(現五和町)旧家石本家の長男として生まれ 幼少より神童の誉れ高く 少年時代は長崎に学び 語学 経済 財政 貿易等について学問を修め その才覚は ますます磨かれて卓抜 11代将軍家斉の時世に豪商松坂屋として この地より世に出た。
 翁は 大いに手腕を発揮して わが国海外貿易業界の雄となり また国内企業ならびに金融大資本家としても 当時の三井 住友 鴻池等の三大財閥と比肩するに至った。 翁は その財政手腕が認められ 天保
5(1834)224日 幕府勘定所御用達を拝命 大名なみの待遇を受けた。 従来 石本家は 九州各藩の財政顧問的地位にあり 年貢米 その他産物の専売権を保有 もって巨大な経済力を形成し 全国大名への貸付金は常に百万両を超えたという。
 翁による難民救済の実績は 枚挙にいとまはないが 特に 寛政年間から続いた天草地方の大飢饉は 文化天保の時代にも及び 農民の困窮は その極に達した。
 この窮状をみた翁は 文化2年(1805年)被災地に対し 籾200石 丁銭3千貫を贈り 次いで文化8年より天保5年までの22年間に 天草を始め 長崎 宇佐 江戸等の各地に贈った義捐救済米は 実に1万1千石以上 丁銭1万8千貫余(現在換算金約22億円)を贈るなど 巨額の私財を投じて 救世済民に精魂を傾けている。
 翁は 天保14年(1843年)旧3月28日 病を得て57歳の生涯を閉じた。
 ここに郷土の先覚 豪商 石本平兵衛翁の偉業を称え その遺徳を偲び 永くこれを後世に伝えるため この顕彰碑を建立する。

 昭和57年(1982年)4月27日
 五和町教育委員会


 〈裏面〉

   顕彰に寄せて

   この顕彰碑は 歴史小説 石本平兵衛 の著者 白倉忠明先生の 篤志によって 建立したものである。
    昭和57年4月17日
    五和町町長 松岡増行

参考文献
『天草歴史談叢』 田中昭策著 昭和57年1月25日発行 発行者 田中満里子
『石本平兵衛傳』 白倉忠明著 昭和53年 自家版
『改訂版 天草の歴史』 堀田善久執筆 平成20年3月発行 天草市教育委員会
『天を翔けた男 西海の豪商・石本平兵衛』 川村哲夫 2007年12月1日 梓書院

石本平兵衛の墓 (pdf)