森宗意軒神社 上天草市大矢野町栁
栁城址
森宗意軒 (もりそういけん) 謎の人物である。 天草島原一揆の扇動者の一人として有名であるが、その素性はよく分からない。 小西行長の元家来といわれているが・・・。 ウィキペディアには、もっともらしく書かれているが、どこまで真実であるかは分からない。 しかし、地元の人にとっては、神として祀るほどだから、地元に何か貢献をしたのかもしれない。 この神社の場所は、上天草市大矢野町柳地区にある。 小松屋旅館から山をそこそこ登ったところにある。 神社の案内板には、命日が三月一八日となっているが、疑問がある。 宗意軒が原城に入っているとしたらふに落ちない。というのは、一揆は寛政十四年十月に始まり、翌年二月二十八日に落城している。 原城に入っていないとしたら、一揆前か一揆後に亡くなったのか。案内板に没年が記されていないのが、気になる。 ま、伝説の人?なので、深く追求する必要はないのかもしれないが。 |
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| 森宗意軒神社 (通称 もりすけさん) この祠は、寛永14年(1637年)の天草島原の乱において天草四郎の率いる一揆の参謀者の一人で医学者でもあった森宗意軒を祀る社である。 当所では、由井正雪(軍学者)に妖術と軍略を授けたとも伝えられている。 宗意軒はこの小柳の素晴らしい眺望をとても気に入り、維和島よりこの地に住み着いたとされている。 乱後、地区住民が宗意軒を偲び、当社を建てて供養を行っている。 ○ 命日供養祭 旧暦3月18日 ※お籠り(前日)旧暦3月17日 ○ 月命日 毎月 旧暦18日 平成21年3月 上天草教育委員会 |
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| 栁城址 上天草市大矢野町栁 |
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| 栁城址は、森宗意軒神社と同じ位置にある。 というより、栁城は中世城なので、栁城址に森宗意軒神社が建立されたというべきだろう。 |
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| 栁城跡解説板 柳の瀬戸を眼下にのぞむこの丘陵地が栁城跡です。室町~戦国時代に天草を統治した天草五人衆の一人、大矢野氏の城郭の一つと考えられます。城山という地名と段地形が連なる丘陵の姿に、城の名残りを見ることができ、東西約250m南北約100mの馬蹄形丘陵の全域が縄張りだったようです。 この城跡は、大矢野島南端の中央部に位置し、大矢野城との距離は約4km、柳ノ瀬戸の抑えとして築かれました。栁ノ瀬戸は、古くから八代海と有明海を結ぶ重要な航路であり、八代と東シナ海を結ぶ最短航路上に位置します。中世の記録『八代日記』には、永禄元年(1558)、隆鑑という人が天草下島最北の志岐から八代の徳渕の津に向かう途中に柳に着いたことが記されています。このような城を取り巻く環境から、栁城は海上交通の要衝として海の関所(津留)の役割を担っていた可能性が高いといえます。 この城跡の一角には、天草島原一揆の指導者の一人とされる森宗意軒が祀られています。地元では「もりすけさん」の愛称で親しまれています。栁城跡は中世~近世初期の大矢野島の歴史を体感できる貴重な城跡です。 ※隆鑑とは、肥後国の名族菊池氏の最後(第26代)の当主菊池義武(きくちよしたけ)氏の子とされている。 平成27年3月 上天草教育委員会 |
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