索引    栃光

地方力士


力士頭取隼元治の碑   天草市天草町下田北

 力士頭取隼元治

 以前、1月8日と9日の2日間、天草一円から力自慢の若者が下津深江神社に集まり、湯相撲(相撲大会)が下津深江神社境内で催されていた。
 当地出身の「隼元治(本名井上元治)」は草相撲の重鎮としてもてはやされていた。
 大正6年湯相撲に集まった力士たちが大正6年1月9日、頭取の業績を讃えて石碑を建立した。その後、本渡招魂祭相撲、下田温泉相撲、本町鈴木神社相撲の天草三大相撲と発展した。
 湯相撲は安政4年、下津深江庄屋 西嶋格左衛門の日記にも湯相撲の記録があることから、かなり古い時代から行われていたものと思われる。
 下田北地区振興会
 大正丁巳六年
力士頭取隼元治
 正月九日 
【正面上】 
天草角力協会

     呼出寅一
     木村又八
 行事  木村三吉
 世話人 立川平作
 頭取  春日石庄吉
 取締  十文字文次
 頭取  玉椿寅吉
 行事  木村惣四郎
     木村三四
     小櫻周吉
     木村吉次
【正面下】
 一金三円五十銭
     若□藤松
     若山順太郎
 一金三円
     若男安□
     立林浅次郎
 一金二円五十銭
     大勇弘
     大和岩力造
     九重伊之一
     朝日山浅造
 一金二円
     若登廉太郎
     八坂山茂吉
     藤勇熊市
【左上】
 一金五十銭
      八ツ房駒吉
      小松嵐嘉太郎
      春日野平次
      都谷濱三
      山ノ谷力太郎
      藤勇常好
      水ノ平勝馬
 一金一円
      青雲久五郎
      刃島仙三
      鈴浜仙三
      勇山惣太
      湊石健一
      酒井山元次
      櫻川俊太郎
 一金八十銭
      都川利八
      白勇寅太
 【左下】
 一金五十銭
      走舟熊次郎  
      岩浦惣七
      西ノ海九吉
      千年川惣吉
      大砲健太郎
      都山益太郎
      二ツ岩嶋吉 
      嵐山若太郎
      浜嵐重吉
      石嵐卯吉
      湊山輔次
      走舟時太郎
      鉄嵐弥三
      若山丸一
      虎林住太
      山田留松
      溝口喜惣松

       
【右上】
 一金五十銭
      虎勇庄太郎
      立勇高好
      友井岳清司
      花霞寅七
      菅ノ森亀好  
      都ア兼藤
      小平山清司
 一金一円
      宮ノ森喜代次
      若柳仙太郎
      山嵐久之松
      響洋平十
      高木野幸次郎
      玉ノ戸秋太郎
      池永久次郎
      道田光太郎
【右下】
 一金五十銭
      若海若一
      浜嵐楽一
      二本洋徳三
      松浦由太郎
      小染川健一
      都石廣太
      若石榮
      浜千鳥鳴太郎
      村野幾太郎
      若勇国雄
      大丈夫七五三雄
      一ノ谷鉄造
      朝日山庚子之輔
      吉堅川由松
      若勇光好
      金子サヨノ
      山田スカ
 
 
 

天草市南町の力士碑   天草市南町 招魂場西側墓地

     
 中央は一番大きな碑で「十文字文次の墓
 右は「
春日石庄吉の碑
 左は「
天草相撲協会立行司 木村常守の碑」  
 
  <十文字文次の墓に刻まれている寄付者名>
(表)
 
    頭取
     一円    早房元治 
(注 下田温泉の碑の隼元治と思われる)
 相   二円    青雲久玉郎
     二円    玉椿京吉
 撲   五円    春日石庄吉 
(注 右の碑)
     二円    十年川為吉
 協   一円五十銭 勇島防太郎
     一円    神風甚造
 会  行司 
     一円九十銭 立行司 木村常守 
(注 左の碑)
     五円    木村又八
     々     木村三吉
     二円    木村三四

     五円    若梅藤松
     々     響灘平重
     二円    飛鳥川盛次郎
     々     若ノ浦惣七
     々     大勇長七 
 (注 下記)
     々     九重伊之一
     々     小袖浪汐一
     々     若林実俊
     々     朝日山浅造
     々     春日野平次

 <残念なことに、建設年月日が刻字されていないが、上記の下田温泉の碑に刻まれている人物と同名が多数あるので、大正初期の頃かと思われる> 

 
   
 (左・上)
二円    大和岩利喜
世     都川利八
話     駒風
人     立ノ森茂次郎
一円五十銭 走り舟興次郎
一円二十銭 若ノ森長造
一円    若島笹松
      立川平作
      志賀浪文治
      二本岳万治
      岩川鉄三郎
行司 一円 木村惣四郎
      木村吉次
  六十銭 木村節造
一円五十銭 追テ風惣吉
      小桜権太郎
      小松風嘉太郎
      若登慶良
一円    大勇弘
      浦ノ森直
      七ツ浪幸助
      一ノ谷鉄造
      三浦山幸作
      力石勇士
      勇駒関松
      吉野川吉太郎
      田島富吉
       
(左・下)
      嵐山藤吉
      関戸袈一
      松嵐太平
      水ノ平勝馬
      平ノ森
      太カ島仙三
      勇山会太
      若浪関次郎
      都石万作
      三島洋重太郎
      若柳為八
      玉柳庚六
      若ノ森重次郎 
      都石仁太郎
      玉ノ浦栄吉
      花勇忠作
      二本松寅次
      錦山安次
      小桜周吉
      天正寅一
      若ノ石留松
      浜ノ浦伴吉
      捍風金作
      春日山藤作
      若木野安松
      玉川栄八

(右・上)
三五銭  白糸直次郎
      露島松造
     露島松造
     三剣寅吉
     時ツ風久次
     若竹慶次郎
     若石松太郎
     勇洋市二郎
     三津ケ浜又次
     浜千鳥松次
     都島阿吉
     沖ノ島由太郎
     八ツ房駒吉
     若山川白太郎
     洋嵐栄次郎
     浜岳茂重
     大泉定四郎
     岩見ア徳由
     四ツ嵐末太郎
     若岩勘市
     岩見岳政治
     恵比須洋メ造
     高ノ戸仁太郎
     都洋直由
     浜勇一郎
     若港清四郎
     岩恵北須国一
 (右・下)
     勇川伊代松
     若勇又三
     錦洋恭熊
     梅森政七
     勇岳早次
     若森博次
     若勇光由
     都川栄作
     巴岳清
     浦ノ浜茂市
     時津風熊七
     春日山糸史
     日本洋徳蔵
     西ケ浜福太郎
     油屋要八郎
     畳屋利一郎
     小染川健一
     岩ノ川丸一
     明鳥平エ門
     玉椿留三
     春日洋宇賀一
     高砂太市
     稲荷山豊光

       
       
       

志賀ノ浦浅五良の墓   天草市五和町鬼池引坂

表 「南無阿弥陀仏」

右 「志賀ノ浦浅五良事」

表下
   大津風力蔵  
   谷嶋 吉

右下
   頭取 
    山本哲蔵
    名取川梅二
    万力利吉
    若柳半助
   行司
    式守奥左エ門
   元方
     良左エ門
     太平
   世話方
     □田
     □渕
     引坂
     古里
      原
      大嶋

     

大勇長七の碑    天草市南町 招魂場相撲上南側


 三代目取締
大勇長七の碑

 昭和十一年正月建
 

発起人
 若梅藤松
 響洋平重
 勇潟武六
 M勇市郎
 春日野兵次
 島ノ森信次郎
 千文字久遠
 玉柳鹿六
 勇形軍太郎
 萬山茂八
 Mノ岩光義
 飛鳥川清次郎
 
 

山本十文字塔  天草市有明町楠甫

 
 山本十文字塔 と読めるので、その名前からして相撲力士の碑と思えるが、定かでない。

 「天草近代年譜」に見る相撲関係記事

 安政四年(1857) 一・一五  志岐村出身力士天津風を擁して、同村で晴天5日の相撲興業がある。
                     肥後力士17人も加わり、天草力士と分けて競わせ人気湧く。
                     陣屋詰役達も連日見物する。

             七・五   志岐村出の天津風、長崎相撲より帰村する。