天草小唄(本人歌唱)


横田良一と天草小唄

    天草小唄
  
               作詞 平野雅昿
               作曲 大村能章
               歌  横田良一

  1.波に揺られて 不知火消えりゃ
    朝日ほのぼの 有明そめる
    ここは天草 あの切支丹
    かなし殉教の 夢の島

  2.浮かぶ白帆に 絵のような島に
    走る汽船の 煙が残る
    上と下との 縁(えにし)の瀬戸を
    渡りゃ本渡の 文華(はな)の町

  3.雲か山かと 山陽が詩(うた)の 
    灘のかなたに 夕陽が沈みゃ
    やさし巴の 白洲の腕に
    抱かれて眠る 袋湾

  4.温泉白鷺 ドライブ疲れ
    翌朝牛深 今宵は﨑津
    熱い情けの 一夜を明かしゃ
    出船別れの 涙雨
 

天草の歌は数多いが、「天草小唄」ほど人に知られた歌はないだろう。
いわば、天草を代表する歌である。
この「天草小唄」歌った歌手が「横田良一」である。
天草小唄がレコードになったのは、戦前の昭和8年のことだ。
しかしかつては、三角・本渡間の汽船や公報無線のチャイムでも流されていたが、今日では、残念ながら横田良一の美声やリズムを聞くことはなかなかできない。残念なことである。

横田良一の写真は少ない
その貴重な写真
『横田良一伝』浜名志松著より

横田良一とロシアの舞踊家キッチー・スラビア
『写真集 熊本100年』熊本日日新聞刊より

天草小唄のレコード
歌手は横山良三となっている


良一の故郷 二浦町亀浦にある
「横田良一生誕の地」碑


天草小唄の歌碑


本渡港にある「横田良一音楽碑」
〈標刻〉 天草小唄 横田良一生誕の地

 〈正面〉
碑文
天才歌手 横田良一(本名・中道実穂)は、昭和六年から九年まで、歌謡界の星として活躍し、不朽の名作「天草小唄」を島民に残した。
没後五十年に当り、その功績を顕彰するため、有志相図り、生誕の地にこの碑を建てる。
 昭和六十一年(一九八六)二月吉日
 横田良一顕彰会

 〈左面〉 
 横田良一年譜
一、明治四十四年(一九一一)九月十日、中道音市・キクノの長男として、亀浦村(牛深市二浦町)太田に生まれる。
二 、昭和四年四月東京国立音楽学校(現国立音楽大学)ピアノ科入学。
昭和六年歌手としてデビューし、約百曲の歌謡をレコードに吹きこむ。
三、天草国立公園の実現を提唱し、昭和八年八月二十二日「天草小唄」をレコードに吹きこみ、天草を広く世に紹介した。
四、昭和十一年(一九三六)一月十日、八幡市(現北九州市)大字枝光二二八番地、父母の許で病没。満二十四歳。
遺骨は生地二浦町太田の墓地に葬られる。

 
横田良一の墓
二浦町亀浦太田地区

法名 釈實音信士

 横田良一吹込曲一覧 (判明分)

 横田良一の芸歴は短いが、以下の通り数多くの曲を吹き込んでいる。ただし、これが全てではない。

№ 目
  曲名        歌手     作詞    作曲   発売年月 レコード社
1 10 想いこがれて     結城 虹二  若杉雄三郎 山野芳作  8・11 REG
2 11 希望の丘       結城 虹二  島田芳文  坂東政一  7・12 REG
3 12 二つの影       結城 虹二  歌島花水  山野芳作  9・2 NIT
4 13 愛する君が為ならで  横田 良一  松村又一  田村しげる 7・2 NIT ◎
5 14 酔ふて忘れよ            恩田幸夫  近藤十九二     NIT
6 15 アリランの唄     横田 良一  タイヘイ文芸部     9・12 TAI ◎U
7 16 旅愁         横田 良一  早野茂   近藤十九二 9・12 TAI ◎
8 17 赤いグラスに汲む酒は 横田 良一  西岡水朗        7・2 TAI ◎
9 18 春の行進曲      横田 良一  西岡水朗  片岡志行  7・4 TAI ◎
10 19 ハロー東京      横田 良一  小国比沙志 片岡志行  7・5 TAI
               松平小夜子
11 20 銀座無宿(無情)   横田 良一  鹿山映二郎 丘 純三  7・11 TAI
               高坂 幸子
12 21 幸福よ               大村主計  山口俊三郎     TAI
13 22 軍神肉弾三勇士    横田 良一  英はじめ  片岡志行  7・4 TAI  U
14 23 血染の日章旗     横田 良一  松本英一  渡邊志朗  7・4 TAI ◎
15 24 行け満蒙の新天地   横田 良一  小国比沙志 片岡志行  7・5 TAI
16 25 爆弾ぶし              小国比沙志 片岡志行      TAI
17 26 噫肉弾八勇士            小国比沙志 服部良一      TAI
18 27 鬼将軍多門閣下           英はじめ  片岡志行      TAI
19 28 軍神古賀連隊長           英はじめ  服部良一      TAI
20 29 陸軍大演習の歌    横田 良一  英はじめ  平茂 夫  7・11 TAI
21 30 新アリランの唄    横田 良一  島田芳文  朝鮮曲   9・6 TEI ◎
22 31 波涛を越えて     横山 健二              9・6 TAi 
23 32 呑気に暮らせ     横山 健二  塚本篤夫  近藤政二郎 9・4 TEI
24 33 恋の急行列車            島田磬也  近藤政二郎     TEI
25 34 新婚行進曲             島田磬也  近藤政二郎     TEI ◎
26 35 世界の戦慄      横田 良一  塚本篤夫  片岡志行  12・00 TEI
27 36 飲めば薔薇いろ    横田 良一  塚本篤夫  片岡志行  8・2 TEI
28 37 天草小唄       横田 良一  帝蓄文芸部       7・00 TEI
29 38 郷慕         横田 良一  石松秋治  北木政義  7・11 TEI
30 39 港の黄昏       横田 良一  西田幸夫  小笠原新  7・6 TEI
31 40 恋の紅葉       横田 良一  石松秋二  片岡志行  7・11 TEI
32 41 さくら音頭      横田 良一  春柳瑞穂  清水ひさし     TAI ◎U
                  〆治
33 42 花の日本       横田 良一  春柳瑞穂  長津 弥      TAI ◎
                  〆治
34 43 南風吹きや             松坂直美  長津 弥      TAI
35 44 春の唄               西岡水朗  長津 弥      TAI
36 45 夢で別れて             鹿山映二郎 大村能章      TAI
37 46 青空晴れて             鹿山映二郎 柳沢志乃夫     OGN ◎
38 47 春を待ちつつ            鹿山映二郎 長津 弥      OGN 
39 48 恋は風に乗って           鹿山映二郎 長津 弥      OGN
40 49 夢のキャラバン           鹿山映二郎 長津 弥      OGN
41 50 丘のポプラ             鹿山映二郎 長津 弥      OGN
42   噫悲壮なる騎兵隊   横田 良一  田村しげる       7・1 TAI
43   乙女なやまし春の宵  吉松 英雄              7・5 TEI
44   昌雄の唄       横田 良一              7・5 TEI
45   肉弾三勇士      吉松 英雄              7・5 TEI
46   恋のパラソル夏の海  横田 良一              7・6 TEI
47   情人の唄       横山 良三  大木惇夫 古賀政男   7・9 COL
48   アリランの唄     横田 良一  歌島花水        7・10 TEI
49   艶歌傑作集      並河 敬一  寺敷憲         7・11 REG
50   枯れすすき      横田 良一  西崎義輝  近藤十九二 7・11 TAI
51   バラバラ事件宿命悲歌 山野 静夫              7・12 TEI
52   恋に翅があるなら   横田 良一  西川林之助 片岡志行  7・12 TEI
               水波 澄子
53   艶歌傑作集(捨小舟 浮草の旅 村娘)               8・1 REG
               並河 敬一 
               丘  銀子
54   艶歌傑作集(廃れ者 失恋の唄 流浪の旅)            8・1 REG
               並河 敬一 
               丘  銀子
55   返らぬ勇士      結城 虹二  島田芳文  高井龍夫  8・2 REG
56   恋の街        結城 虹二  野村俊夫  山野芳作  8・12 REG
57   平安の夢破れて    横田 良一              8・8 TEI
58   長崎博覧会の唄    横山 良三  渡部竜夫  大村能章  8・12 COL
59   天草小唄       横山 良三  平野正夫  大村能章  8・12 COL
60   眸はぬれて      横山 良三  佐藤惣之助 江口夜詩  8・12 COL
61   愛しい吾家      横山 良三  島田磬也  奧山貞吉  9・1 COL
62   仰ぐ銀嶺       結城 虹二  久保田宵  二千振勘二 9・1 REG
63   春の鴨緑江      真澄 晴夫  松坂直美  田村しげる 9・4 KIN
64   さすらいの唄     横山 健二  植村登美子 近藤政二郎 9・5 TEI
65   広島小唄       真澄 晴夫  西岡水朗  大村能章  9・6 KIN
66   そんなお金があったなら横田 良一  林香二郎  片岡志行  10・1 TEI
               松島 詩子
67   万歳音頭       横田 良一                  TUL  U
               東京 市松
68   山のメロディー    横田 良一                  STK  U
69   赤城の新子守唄    横田 良一                  STK  U
70   青春賛歌       横田 良一                  STK  U
71   山の銀嶺       横田 良一                  STK  U
72   さくら音頭      横田 良一  山野芳作            TUL  U
               東京 市松

 ※ 横田良一は数多くの変名(芸名)を使っている。 

 
〔注釈〕
 ① 以上挙げた曲は、判明分のみ。
 ② №は、通し番号、特に意味はない。
 ③ 目は、良一の実家に残された目録による。
   1~9迄は残されていない。
 ④ 芸名は、レコード吹込の芸名。空白は不明。
 ⑤ ◎は、目録の中で50曲中の傑作(吹込者推薦)レコードの事。
 ⑥ Uは、ユーチューブにアップされ、聞くことが出来る曲。
 ⑦ データは、ウエブページ、「昭和歌謡大全・戦中戦後」http://music.geocities.jp/hanatori1119/kayoudaizenn/kayoudaizenn.htmlから、
    「音盤芸術家筆名芸名簿」http://music.geocities.jp/hanatori1119/recordartist.htmlより、横田良一関係を抽出した。
 ⑧ 67~72の曲は、ユーチューブより。
 ⑨ 曲の横線は、実家に残された目録と昭和歌謡大全共に掲載されている曲。
 ⑩ №8の天草小唄は、現在歌われている天草小唄とは別曲。
 ⑪ 26世界の戦慄の発売年が12年となっているが、データの誤りと思われる。
 ⑫ レコード会社の和名については省略した。


 

 横田良一(本名 中道實穂)関係年譜
   
1911年(М44)9月10日 中道音市・キクノの長男として、亀浦村太田(現天草市二浦町亀浦太田)に生まれる。
1913年(T2)9月10日 2歳 戸籍上の出生年月日。
1914年(T3)7月 3歳 第一次世界大戦勃発。
1918年(T7)4月1日 7歳 天草郡亀浦村白石尋常小学校に入学。
〈註〉良一の出生時、母のキクノが戸籍上15歳に達していなかったので、出生及び小学校入学が2年遅れとなっている。(校名の白石は、字名)
1923年(T12) 12歳 父音市、八幡に転住、八幡製鉄所に勤める。良一は祖父の許で暮らす。
1924年(T13)3月31日 13歳 白石尋常小学校卒業。家族のもとへ行く。
福岡県立八幡中等学校の入試を受けるも失敗。
        4月 八幡市内の高等小学校高等科入学。
1925年(T14)4月1日 14歳 門司市豊国中学校(私立)入学。八幡の父母の許から汽車で通学。
突然失踪、東京へ。
豊国中学校校長は西田幸太郎。彼の娘西田節子が東京音楽学院出身で、帰郷していたため彼女からピアノの指導を受けたりして、音楽の才能を伸ばす。
1929年(S4)2月 16歳 豊国中学校終了。
          4月  東京高等音楽学院(国立音楽大学前身)ピアノ科入学。
ドイツ人教師レオ・シロタにピアノを、堀内敬三、古賀政男等に歌唱の個人指導を受ける。
1931年(S6) 20歳 歌手としてデビューし、藤山一郎と共に注目を浴びる。
          3月 故郷二浦に帰り、郡内の小学校や天草中学、本渡高等女学校で独唱会を開いて音楽行脚をする。
          4月 熊本へ出て、熊本市内各中学校で独唱会を開く。
          4月20日 私立鎮西中等学校音楽教師となる。
          7月 教師を辞めて上京する。
以後、徴兵検査を受けるまで、故郷との接触を断つ。
1932年(S7) 21歳 歌手として活躍。9年までコロンビア、ニット、タイヘイ、テイチク、タイヨー、オーゴン等のレコード会社から多くの歌謡曲を吹込む。
最初のレコードを吹き込む。吹込年月、曲名は不明。
1933年(S8)春 22歳 徴兵検査のため帰郷。検査の結果不合格となる。そのまま天草に留まり、天草各地の学校を巡回して、新しい歌謡曲を紹介する。
          6月20日 天草小唄の歌詞を募集。郷土紙みくに社社長の吉見教英と出会い、みくに社後援で、みくに紙に歌詞募集の広告を出す。
横田良一が天草小唄を吹込みたいと考えたのは、郷土天草を広く全国へ知らしめたいと考えたため。また、雲仙が国立公園に指定されようとしていたので、天草もそれに組み入れられるための運動の一環でもあった。
          8月17日 天草小唄の歌詞入選が決定。入選者は熊本市職員平野雅昿(旧名正夫)。
          8月29日 上京。
作曲は古賀政男に依頼しようとしたが、古賀が病気のため、大村能章に依頼。
          9月22日 コロンビアで天草小唄を吹込む。芸名は横山良三。
          10月20日 天草小唄発売。定価1円50銭。大ヒットとなる。裏面は、「天草民謡」。作詞肥前泰隆、作曲大村能章、歌赤坂小梅。
1934年(S9)3月16日 日本最初の国立公園「雲仙国立公園」指定。天草は入らず。
           牛深小唄の依頼を受け、視察のため牛深へ。平野雅昿を牛深小唄の作詞を依頼の前提で伴う。
          11月  23歳 喉頭結核を発症。
1935年(S10)2月 24歳 重体となる。東大病院で手術をしようとするが、多額の費用を捻出できず断念。
          3月 妻登美子を伴って、父の元(八幡)に帰る。
          4月 鹿児島県出水市に転居していた祖父 嘉市の元に身を寄せて、治療に専念する。
          7月 登美子を東京へ帰す。
          11月  八幡の両親の元へ帰る。
1936年(S11)1月10日 午前6時、両親の元で死去。24歳 
1939年(S12) 吉見氏らの骨折りで、「牛深小唄」発売。
1953年(S28)5月 「天草小唄」再生版売り出し。裏面は「肥後五十四万石」
          9月25日 浜名志松、みくに紙に「天才歌手 横田良一伝」連載開始。9年4月30日号迄、28回連載。
1960年(S35)7月24日 本渡港に「天草小唄」歌碑が建立される。
1979年(S54)7月 浜名志松、『横田良一伝』を発行。
1982年(S57)11月 牛深市(現天草市牛深町)で第1回横田良一顕彰音楽祭が開催される。(61年まで継続)
1986年(S61)12月 牛深市二浦町(現天草市二浦町)に「横田良一生誕の地」及び「天草小唄歌碑」顕彰碑が建立される。
1998年(H10) 第1回横田良一音楽祭が開催される。
   

 参考資料

 『横田良一伝』 浜名志松著 みくに社
 『「天草小唄」と横田良一』