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 定浦  大島子浦  天草市有明町大島子

 
 定浦(じょううら)

定浦とは天草、島原の乱後の幕府の直轄時代に海上の管理と漁民統治、税制整備のため設けた制度で、この指定を受けた漁村の者だけが漁業をする権利が与えられた。この制度は正保二年(1645)初代代官鈴木重成により実施されたが、その時は島子は指定されなかつた。万治二年(1659)二代目重辰の時、大島子浦に指名され、『弁指』が指名され、弁指により漁民の管理と浦高(税)の徴収をした。大島子浦にはさらに舸子役(漁業権を持ち漁業が出来る株)数人が認められ漁業が行われるようになった。(有明町で定浦の指定は大島子だけ。)

  有明町
  島子地域づくり推進協議会
  島子漁業協同組合

現在の大島子港



※注 萬冶2年の指定に、大島子浦は入っていない。
 大島子浦は延宝元年(1673年)、また正徳5年(1715年)に疱瘡が流行し、難儀の状態に陥っていた湯船原浦から前後2回、舸子役株を買い入れて仲間入りした。

 また、有明町では、大浦も年不明だが、同じく湯船原から譲渡されている。
 大島子浦の舸子役は、5名、大浦は2名であった。

 定浦 参照