目次   なんじゃもんじゃの花 2011/03/24up

鎮魂の丘   天草市牛深町真浦

 牛深町加瀬浦地区に通称「ボラ山」と呼ばれる小高い丘がある。ボラとは魚のボラのことだ。
 このボラ山に「鎮魂の丘」はある。
 鎮魂の丘には数塔の戦争関係の慰霊塔がある。
   日清・日露慰霊塔
   陸軍記念碑
   海軍記念碑
   無縁仏塔戦没者慰霊塔
   山本元帥弔魂碑
 そして
   軍艦長良慰霊碑
 これらの慰霊塔は、ただ一人の婦人が建てたものだ。
 勿論、協力者がいたとはいえ、ほとんど自力で。
 彼女の名前は「佐々木ツル」さん。
 その佐々木ツルさんの顕彰碑

 詳しくは島一春著『天草灘にひびけ鎮魂の譜』を参照していただくとして、写真でこの鎮魂の丘の様子を見ていただこう。
 

日清
明治27.28年
日露
明治37.38年
戦没者慰霊塔

賛助 
合資会社 魚正
浦田宇喜太郎
下関長府 芦原貢
熊本市唐人町 小田翠
岩崎源平
高橋マサキ
横山ユヤ
佐々木栄
 謹書 高橋重博
陸軍記念碑
昭和12年7月7日
海軍記念碑
昭和16年12月8日
山本元帥弔魂碑
昭和41年3月吉日
無縁仏塔戦没者慰霊
昭和41年3月吉日
以上5塔
記念碑の裏に刻まれた建立者佐々木ツル
ただし、彼女は自分の名前は刻むことをしなかったというので、後日関係者が刻んだのだろうか。
軍艦長良慰霊塔
昭和45年10月建立

賛助者
 川下智一郎
 佐々木正巳
 北時鉄春
 竹中忠義
 吉浦大吉
 米岡勝
 山下中松
 巡洋艦「長良」は、太平洋戦争末期の昭和19年8月7日、牛深の約10キロの沖合でアメリカの潜水艦に攻撃を受けて沈没した。
 慰霊塔は、その沖合に向けて建っている。
長良には、搭乗員583人が乗船していたが、そのうち中原艦長ほか347人が艦と運命を共にした。
その戦没者の名前を刻んである。
在りし日の巡洋艦「長良」
佐々木ツルさんの顕彰碑
◇碑文◇

この慰霊の丘には佐々木ツル様が護国の英霊の
慰霊の大願の下昭和六年満州事変勃発以来
永年に亘る行商の汗の結晶である浄財を以て
霊域を造成し一基又一基と慰霊碑を建立して
寛政されたものであります
特に軍艦長良に就いては昭和十九年八月七日
大島沖にて其の最期を遂げて以来毎年
洋上慰霊祭を執行して頂いております
古今東西に類例の無い此の慰霊の丘の完成と
維持管理に全身全霊を傾注して来られた
佐々木ツル様の尊い善行を顕彰し其の御名と
御温容を後世に遺す為満腔の敬意と報恩の
心を籠めてこの顕彰碑を建立します
 昭和五十六年三月吉日
       有志一同

一 昭和四十九年四月六日    牛深市長表彰
一 昭和五十三年四月二十一日 熊本県知事表彰
一 昭和五十三年六月二十二日 厚生大臣表彰
一 昭和五十四年四月二十九日 叙勲六等瑞宝章

◇裏には「かしこしや兵の姿に身をかりて八百神たたかいたまふ」と刻まれている。
島一春著
『天草灘にひびけ 鎮魂の譜』
熊本日日新聞社刊
昭和59年11月24日発行

長良戦没者氏名