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高野山僧流人墓

流人というと、盗みや殺人などを犯した犯罪人の刑罰と思いがちだが、中には宗論の抗争に敗れた僧侶たちもいた。
また、別掲の定舜上人のように、妬みを受け、事実上の無実で流された高僧もいた。
高野山の争論に敗れた僧侶たち、その数、600余人にのぼる。
そのうちの140人(そのうち8人は死亡、実際は132人)が、天草に流されている。
僧のうちでは、かなりの高僧もいたようで、赦免される前に天草で亡くなった高僧の墓が、現存する。

それでは、なぜこのような多数な僧たちが、流罪に処されねばならなかったのだろうか。
その詳細な事実は、明らかではないが、今日の研究の結果、事件の概要が判明したという。
そこで、簡単に事件の概要を述べてみたい。

事件の概要
 高野山は空海(弘法大師)が開山した真言宗の大本山である。
 その高野山の僧は、学侶、行人、聖の三種に分かれている。
 学侶=高野山教団を構成する中核であり、学事を専修する僧衆。
 行人=仏前に香華や常灯、仏飯等の給仕及び学侶に仕えて雑務や所用を行う僧衆。修験者としての性格が強い。
 聖=主として勧進と唱導を任務とする僧衆。全国を廻り、高野山の普及に努めた。
 
 それではなぜ600人強の僧達が一度に罪人となる、日本史的な大事件となったのであろうか。
 三種の僧の中で、罪人となったのは、行人僧である。
 つまり、争論は学侶と行人の争いであり、この争論に敗れたのは、行人である。
 行人は、学侶に比べて圧倒的多数であるが、身分的には学侶に仕えるという立場であった。
 しかし、真の原因は、行人僧へのリストラと言えよう。

 また、現在と違うのは、幕府権力が、宗教的内部の争論まで立入、かつ一方を罪人として処刑している点である。
 つまり、当時の宗教は、政治権力下にあったという事であり、立場が上の学侶の側に権力者が立ったという事であろう。

  
≪参考≫ 元論文 「流刑された高野山行人方僧達の行方と各藩での処遇」 盛田清美著 
  及びこの論文を元にした論考『西海義民流人衆史』鶴田文史著による。

 

≪天草近代年譜≫ 松田唯雄著

1692 元禄 5 07.25   幕府、高野山学僧行人の争論を裁断し、行人627人を幽閉する。
 
1692 元禄 5 08.28   幕府、高野山僧徒600余人を流刑に処する。
 
1692 元禄 5 09.27   高野山行人配流の僧140人、この日富岡着船、曲崎へ仮屋を建てて入れ置く。
 
1692 元禄 5 10.27   富岡仮宿中の配流僧、この日郡中預けとなり、組々へ引き渡される。
 ただし、内2人は大坂にて、6人は富岡にて死去する。
 残り132人。
 各組への預かり内訳は次の通り。
  富岡町7人、志岐組8人、井手組8人、御領組15人、本戸組20人、栖本組20人、大矢野組18人、
  砥岐組8人、久玉組7人、一町田組11人、大江組10人。
  また、この他五島へ125人、隠岐へ155人、それぞれ配流される。
 
 (配流先人数は『天草年表事録』による。年譜では志岐組16人とあり、井手組は0となっている)
1700 元禄 13 この年   さきに配流されていた高野山の僧侶が赦免され帰国を許される。
 ただし、尤も流島9年の間に、死去したもの少なからず。
 
 
 九品寺の高野山僧流人墓   天草市有明町大浦 九品寺
この墓は、草木の中に放置されていたものを、地域史家鶴田文史氏が発見し、住職の手によって、再建されたという。

 中写真の石塔には、
「元禄六 癸酉年 高野山  権大僧都法印栄遍 覺位 六月十九日 寂 寛主院」

 下写真石塔には
「高野山一心院谷金光院 権大僧都法印祐慶大和上 テ時元禄七戌載十二月三日寂」

 と刻字されている。
 
 
 
 

 国照寺の高野山僧流人墓  苓北町志岐 国照寺  三基の塔がある
   
   
    正徳三癸己十一月十五日施主富岡町住人       
           弟子八代屋長左衛門         

     前正覚院権大僧都法印秀量      
  高野山 阿闍梨良雲              
       前長福院阿闍梨秀漢 
        

    元禄十丁丑十月七日志岐村に而寂    

  上段右の石塔のやや後ろに自然石の石塔もある。これにも高野山の文字がかすかに見える

 (表)  無縁之塔
 
 (裏) 高野山故正福院乗音
    良雲七十三歳而元禄

    十一年戌寅正月廿九日化 

   
※もともと無縁塔であったのを、僧の墓としたと思われる

≪参考文献≫
 『天草島鏡』「天草年表事録」上田宜珍著
 『天草近代年譜』 松田唯雄著 図書刊行会 
 『西海義民流人衆史』 鶴田文史編著 長崎文献社刊 2014年5月1日発行